おばあちゃん子だったので思い出を書いてみる。
2016/02/18
今日は私のおばあちゃんのことを書きたいと思います。
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おばあちゃん子だった幼少時代
小さいころは引っ込み思案で人見知りでテレビが友達だったのでいつも家にいました。
おばあちゃんちは私の家から徒歩5分程度のところにあるからよく遊びに行ってました。
小学校の時はいくたびにおこづかいをもらってました。あとおばあちゃんが好きなコカ・コーラを飲ましてもらって水戸黄門見たり、一緒に銭湯に行ったりして過ごしてました。これがきっかけで銭湯に入るのが大好きです。
私の両親は当時共働きだったのでおばあちゃんはとても頼もしくてありがたい存在でした。
おばあちゃんと一緒に住んだ高校時代
高校の時、受験勉強に専念するために約半年おばあちゃんちに居候したことがあります。
決まった時間にご飯を食べて、早寝早起きなおばあちゃんちは勉強するにはいい環境でした。
でもおばあちゃんと毎日一緒に暮らしていると衝突もあります。
完全に私が悪いのですが、私は寝起きが悪いので起こされてもすぐ起きません。テンションもかなり低いです。
ある日の朝おばあちゃんに寝起きの悪い私は当たってしまいました。
おばあちゃんもせっかく起こしてるのにって思っただろうな。
その日は学校でもずっとおばあちゃんのこと考えてました
「悪いことしたな」
昼休み友達にも相談しました。
おばあちゃんは謝ったら許してくれました。
おばあちゃんと喧嘩をしたのはこれしかないと思うけど申し訳なくてずっと覚えてます。
おばあちゃんがいなかったら今の自分はいない
おばあちゃんには本当にお世話になっていました。
特にお金や食事の面。
私の家庭はあまり裕福ではなかったので、当時は中学校も行けるのか子どもながらにハラハラしていました。
おばあちゃんがお金を出してくれてなんとか学校に行けていました。
大学だって奨学金はもらっていたけどおばあちゃんにも随分助けてもらいました。
今少しずつだけど返しています。ほんとにおばあちゃんには感謝しかありません。
そんなおばあちゃんも80歳
私たちも成人して大人になった。姉は結婚して子供ができた。
おばあちゃんにとってはひ孫だからかわいくてしょうがないみたいで、目を離したら食べちゃいそうなくらい可愛がってます。
久しぶりに帰ってもひ孫しか眼中にないから私の存在忘れられたりするけど、私も小さいとき同じように可愛がってもらってたなと思うと胸がじーんとする。
背が小さいおばあちゃん
久しぶりに会うと「生きてたのか!」というおばあちゃん
旅行に行くと必ずお土産を買ってきてくれるおばあちゃん
人一倍働いて家庭を支えたおばあちゃん
口は悪いけど、おなかすいてないか気にしてすぐご飯出してくれるおばあちゃん
仏壇のおじいちゃんに毎朝お供えものをしているおばあちゃん
野菜作りが好きでお水をせっせと運んでいたおばあちゃん
その採れた野菜を自分の子のように嬉しそうに自慢するおばあちゃん
お風呂で背中を流してあげるとうれしそうにするおばあちゃん
いつもありがとう。
ずっと元気でいてほしいな。
いつも読んでいただきありがとうございます。シェア・コメントしてもらえると小躍りします。
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